今年の漢字は?表意文字文化

社会学的考察


年末に清水寺で行われる「今年の漢字」は世相を反映しますが、昨年はコロナの流行で「密」だったんですよね。投票で決まるそれは、密を頻繁に耳にしたことによるのですが、10年先にも蘇る時の象徴になりますよね。その漢字とイメージの密接性は、ラテン文字が記号に振り分けられるものに対して、漢字は表意文字として漢字そのものが意味を持つのですよね。


しかし文字の発祥はヒエログリフで、西洋占星術で使う太陽の記号も、紀元前のエジプトのヒエログリフに確認されます。その文字文化の承継を断絶したのがラテン文字で、世界の殆どの民族が使用する表音文字なんですよね。ラテン語は文化の継承が理解しにくく、私たちがカタカナやひらがなの一文字で意味を持たないことに似ています。たとえばクジラは、魚が京(兆の一万倍)ほど大きく海に泳ぐので、哺乳類にも関わらず「鯨」という感じが当てられたと予測できるのは、私たち民族の他にないイメージが漢字にみるように、表意に現れるものへの洞察力の根拠であるように思います。


ラテン文字は知識への興味がなければ、起源にさえ気づかない隠された意図を持つので、西洋人の教養がラテン語、ギリシャ語であることに対し、日本人の教養は思想的な仏教や孔子の教えであった歴史があります。それに気づいたのは、西洋系の占いの体系には、Aは表意としてアレフで牛の角を表す、Bはベータで家の屋根である、というようなラテン文字のルーツを辿る、知る人ぞ知る知識の探求に、伝わりにくい文字を使っているものだと実感したものでした。


しかし、ひらがなから始まり、カタカナ、漢字、そしてローマ字までも覚える必要のある日本人は、改めて考えると、その労力と時間に疲弊して、しかも左脳寄りに強制されてるんじゃないかと疑い深くなったりもしますが、文字にイメージを膨らませる文化は、自在に文字を遊ぶ土台が和歌を読むひらがなや僧侶だけに使用されたカタカナにもあると思います。「密」を昨年使ってしまった今年は、何に対してどんな漢字が決まるのか、世相を表す漢字は気になるところです。