世界を旅する手段は思考② 空間と言葉

社会学的考察

私たちは何かをたくさんの事象の中から、「あれではない何か」を選別して生活しています。「何でも良い」と即座に答える時も実際には無反応ではなく「何か」を放棄していたり、肯定/否定・優劣の状態を直感的に振り分けています。


会話している相手が、食い入るようにこちらに耳を傾ける態度は、集中力や真剣さが感じられますし、寡黙である場合も態度が示してくれます。同じような体験が、映画、「ベイビー・ドライバー」では主人公の同居人である、耳の聴こえない老人が、スピーカーに手を当て、音の振動で耳の聴こえていた時代の曲を当てる場面は、感覚は侮れないものだと思い出させてくれます。必ず空間にある現象は、身体を通して方向性を感知させてくれるのですね。

言葉の背後を認識しない状態とは、言葉を追いかけ始めた子供の状態と似ています。言葉に意識を傾けすぎていれば全体を把握しきれず浅い認識になりますし、洞察力のある集中力とは全く違ったものであることが理解できますよね。盲目な恋愛がいかに落胆してしまう状態であるか!ということですよね。



空間意識は身体によって感じられ、言葉も同じように 上下左右、前後、裏表、明暗、などの方向性や場所の着地点を、どこか話している文脈に隠されています。(と、いうか話す行為は隠しきれない、人にしか客観的にみてもらえない自分です。)前向きな言葉か、過去を振り返っているか、時々話が飛んで平行移動移動…、その文脈に、その人の方向が示されています。


「今日は公園に行った、犬を、散歩させるために」と言わない日本語は、空間にイメージを広げる認識がなく、「今日は犬を散歩させるために、公園に行った。」と直線的で単調で結果に意識を絞る印象がありますよね。空間と言葉の関係を知っていれば、相手との会話が違ったものに見えてくるかもしれません。