世界を旅する手段は思考① 

社会学的考察

言葉はその人の生きてきた社会を背負う。つまりその人の話し方がその経験を語ります。
私たちはその言葉の理解の仕方を覚えていないもですが、言わずと知れたことですが、最初の体験は家庭にあるので方言も含め、赤ちゃんは体験を通して言葉と結びつけます。スプーンを故意に落とす行為は本能的。善悪という社会的な躾を教え込まれる幼児は、せっかく自分の身体を使いこなす行為を試しているのに、否定されるのですから人間の親子は大変な葛藤にありますよね。


ダメの反対は良いではなく、なぜ?という疑問に繋げることが、思考の変化を促します。短気は損気と昔の人は言いましたが、子供に対して気長に向き合うことですね。ただ言葉を覚えるという点では、言葉は思考を具現化するものですから、知らないことはイメージに浮かばず、多くの言葉を知ることは人の創造性を豊かにします。


私たちは知らず知らずに文化、地域、家庭と繋がり、価値観も植え付けられます。就学した子供が、新たな言葉を覚え地域に染まり成長するように。思考に変化を促すための経験は、新たな付加価値を与えるため、人生を通し様々な体験を通してその経験が、人の考え方や思考の幅を広げます。


人が言葉をインストールする生き物だと思えば、新しい体験が新鮮で世界に興味が持てるものです。世界の言語の違いは、日本語は日本でしか使用されないことも、他国は日本とは異なる証拠になります。枝のように多様に広がった異言語も民族に影響を及ぼすもので、陶芸を比較した時、西欧諸国は視覚的で、日本は感覚的に捉える文化と言われるのですが、西欧では、タコはデビル・フィッシュとして嫌われ、日本は気持ち悪い生き物であるが、茹でてしまえばそこまでの否定感はない人は殆どだと思います。幼児の言葉を吸収する力は視野が広く、段々と規制され狭まるのでは興味を失う。人は言葉を通し知識を深め、人の創る世界と関わることで器を広げるものです。