バイオリズム

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太陽が昇り日が沈み、今度は明るい星が輝く夜空、そして曇りや雨、四季の移り変わりで植物が実を実らせ凍える冬が来ることを、バイオリズムと人は感知するようです。

それを東洋的には気、もしくは運気と呼びます。大嵐の大海原に生まれたら災難?晴天の景色の良い日に生まれたらその人は幸運?

運の巡りは人に平等である、と大昔に聞いた。それは一理あると私は思っていて、たとえば、自分という個人がある舞台に立っていて、その後ろの背景が変化していく様子を、四季に見立ててイメージする。するとそれぞれに違いはするが誰にも平等に、四季は巡りゆく。

しかし、背景が移り変わることと、その人本人の自己成長は別物なのだ。

人生の初めを、砂漠の中、喉を乾かせ歩いた人は、渇きを潤す水の有り難みに感謝し、分け与えることを覚えるだろうが、その言葉は、殺伐とした嫌味たっぷりかもしれないし、大雨の中を水浸しで歩いた人も同じでジメジメしたものかもしれない。逆に、元々環境に恵まれた人がぬくぬくと生きていれば稚拙な大人となって、自分で気づかぬうちに周りに敬遠され、表面的にしか物事を見れない可哀想な人かもしれない。

結局、環境をどのように受け止め、置かれた環境の中で自己成長するか、もしくは多角的な価値観のどこに比重を置くかというようなこと、人はそれぞれ違って良いのだ。人と比べることはナンセンスだよね。だって人からの評価は、そもそもが自分の範疇を超えているのだから。

人生は悲観的なものではないと思わなければ、生きるのが辛くなる。日本には良い言葉がありますよ。「心の持ちよう」、心の内側から世間の見方を変えていくことって大切なことだと思います。