映画を観ながら、「人はどこまで自分でいられるのだろう」と思った出来事がある。
その日、1997年公開の『PERFECT BLUE』を観ていた。パソコンはまだ分厚かったが、ストーリーに古さを感じなかった。
簡単なあらすじは、アイドルを引退し女優へ転身した女性・ミマが、仕事の変化やストーカーの存在をきっかけに、現実と妄想の境界が少しずつ曖昧になっていくというものだ。観ている側も何が現実なのかわからなくなり、最後まで翻弄される心理サスペンスである。
『PERFECT BLUE』では、鏡がキーワードになっている。
ミマは、鏡やガラスに映るもう一人の自分と何度も向き合う。
「アイドルから女優に転身したことは間違っていたのだろうか」という考えに縛られたまま、抜け出せなくなっていく。
誰にも本音を話せなくなり、仕事で追い詰められていく。そして、仕事仲間が次々と殺害される事件まで起こる。
人は、自分の限界を知っているようで、実は知らない。
ミマもその世界に呑まれ続け、自分を見失っていく。
そしてラストシーンは、答えの見えない疑問を投げかける。
バックミラー越しに「私はホンモノ」というミマの言葉が映し出される。しかし、そのミマが本当に「ホンモノ」なのかはわからないまま、映画は終わる。
占いの仕事をしていると、「どうしたらいいですか」という相談を受けることが多い。
でも、本当に必要なのは答えではなく、自分とは違う視点に触れることだと思う時がある。
悩みが深くなると現実が見えなくなることもある。しかし誰かとの対話によって、少しずつ輪郭を取り戻すこともある。
ずっと頑張らなくてはと思うほど、人は自分の輪郭を見失ってしまうことがある。
それでも、自分という存在を保つためには、「誰か」という鏡が必要なのだと思う。
『PERFECT BLUE』は、時代が変わっても人の本質や脆さを静かに問いかけてくる作品だった。
