最新のSF映画を観ているはずなのに、この映画はどこか懐かしい感じがした。
そう思ったのは気のせいではなかった。異星人ロッキーとのファーストコンタクトで流れてきた、5つの音で『未知との遭遇』へのオマージュだと気づいた。だから別れ際に地球を模した毛糸の模型を渡す場面でも、『E.T.』のあの別れを思い出した。(そしてネタバレ満載になるので、これから観たい人はここでストップすることをお勧めする。)
物語は、グレースが宇宙船の中で昏睡状態から目覚めるところから始まる。自分が誰なのか、なぜここにいるのかも分からない。一緒に搭乗した二人はすでにミイラ化して亡くなっていた。二人を船外の宇宙へ旅立たせる場面は、今思い出してもゾッとする。
このまま地球へ帰還することなく一人で宇宙を旅するのなら、私ならいっそ二人と一緒にミイラになっていた方が幸せだと思う。
ところがグレースは、自分が誰なのか、宇宙船、現在地を調べ続ける。地球へ帰るには途方もない年月がかかると知っても、不慣れな船を操縦し、船外活動までやってしまう。
使命感に燃えるヒーローとは真逆。でも、分からないことを放っておけない。科学者としての探究心が恐怖を少し上回っている人。
人間は好奇心によって文明を切り開いてきた。船内の壁には霊長類の進化を模した金色のプレートが貼られている。その文明の進化が、ついには宇宙へ飛び出すのだから本当に気絶級だ。グレースは地球を救うための片道切符で、原因を探り、解決するために宇宙へ放り出されたのである。
そんな永久に続くかもしれない孤独の中で出会うのが、異星人ロッキーだ。
顔も目もなく、最初は岩のような毛のない毛蟹。それが途中から、先日作った鳥肝の生姜煮のレバーのように柔らかそうだと思うまでになってくる。
そして見慣れるほど可愛くなる。手の動きや仕草から、今は喜んでいる、今は心配しているということまで伝わってくる。二人は異星人同士でありながら、共通する数学や科学から言葉を作り、次第に心まで共有していく。
ロッキーの文明は人類より高度な技術を持っているが、相対性理論を知らない。眠る時には身体の機能がほぼ停止するので必ず誰かが見張っている。身体や環境が違えば、文明が発達する方向も違う。それでも二人は互いに足りないものを補いながら協力していく。
宇宙船が危機に陥り、ロッキーが自分の身を守る装備から飛び出してグレースを助ける場面が、とても印象に残った。
危険を避けようと思えば避けられたはずだ。それでもロッキーは迷わずグレースを助ける。姿形も文明も程遠く違う二つの生命が、本質的なところで繋がった瞬間だった。
最終的に二人は危機を乗り越える。グレースは地球を救うための物質を手に入れ、「ビートルズ」と名付けた小型探査機に託して地球へ送り出す。これで任務は果たした。
グレースは地球へ、ロッキーは自分の星へ。別れを惜しみながら反対方向へ進んでいく。私はここから地球帰還へ向かって映画が終わるのだと思っていた。
ところがグレースは、別れたロッキーにも危機が迫っていることに気づく。
地球へ帰るか、ロッキーを助けに行くか!
グレースに迷いはない。ロッキーを追って引き返す。
最初は宇宙へ行くことさえ拒んだ男が、孤独の中で出会い、自分を支えてくれた友人を見捨てないために、今度は誰にも命令されず、自分の意思で最大の賭けに出る。
グレース自身が「ヘイル・メアリー」になった瞬間だった。
すでに地球を救うという任務を終えたグレースは、ここで初めて自分が進む道を自分で選んだのだと思う。
最後は地球へ戻らず、ロッキーの住むエリディアンの世界で再び教師になる。かつて相対性理論を知らなかった文明の子ども達に、今度はグレースが光の速度を問いかけている。
ただ、そこでもグレースは完全な自由を手に入れたわけではない。地球を模した巨大な居住空間で、その生命はエリディアンたちに委ねられている。ロッキーもまたここでは、自分の身体を守る装備をつけてグレースに会いに来る。
最後まで二人は違う生命のままなのだ。
それでも一緒に生きることができるのは、互いを信頼しているから他ならない。
誰かと何かを共有し、助け、助けられる。そうして「生き延びる」が「生きる」に変わる。
宇宙船から一本の紐だけを頼りに、何が起こるか分からない宇宙へ飛び出した場面のように、人生もまた「ヘイル・メアリー」なのかもしれない。
この映画の最後に残ったのは、グレースが生き延びたことではなく、一緒に生きたという記憶だった。
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