『ディスクロージャー・デイ』──優位性とは、力を持つことだけではない

映画から考えたこと

スピルバーグの最新作『ディスクロージャー・デイ』の公開を楽しみにしていた。

久しぶりの映画館。

待つ間、売店でポップコーンを買う人が目につき、私も買っておけばよかったと少し後悔した。

映画が始まると、情報を持って逃げる主人公、それを追う組織、カーチェイス。

実際に撮影された映像にワクワクする。

昔テレビのUFO特集でよく見たミステリーサークル、1970年代を思わせる家やセットの色合い。

「ああ、こういうのあったな」

ここまでは、安心していつものスピルバーグを観ていた。

私は後ろから二番目の席に座り、上映前、暇つぶしに観客を数えていた。

数え間違えてなければ、51人。

大きな容器のポップコーンを抱えた人も何人かいた。

ところが、自分が強く映画に引き込まれた場面で、前の席をちらっと見ると、不思議なくらい誰も動いていない。

見えるのは、ほとんど後頭部だけ。

ポップコーンを持って入った人たちまで、食べるのを忘れているように見えた。

みんなが真剣にスクリーンに見入っている。

ちょうど映画の中でも、人々が大きな情報開示に出くわし、それを見つめている場面だった。

スクリーンの中でも映画館の中でも、知らない人同士が同じものを見つめている。

私も映画館にいる人たちと、何かを共有しているような気がした。

宇宙人の映画を観に来たはずなのに、気になり始めたのは、それを見る人間の方だった。

未知のものを見たとき

少し前、ニュースでUAPの映像を見た。

何かは映っている。

でも、それが何なのかはわからない。

私は興奮するより、一瞬、思考が止まった。

人は、自分が体験したことのないものに出会うと、そうなるのかもしれない。

映画の中では緊迫した世界情勢も映し出される。

現実でも戦争は終わらず、AIなどの新しい技術を巡って、国と国が優位性を競っている。

この状態の延長線上を、私たちはどこまで見続けていくのだろうか。

もし、今まで想像するしかなかった存在が、突然現実のものとして目の前に現れたら。

私たちは何を感じ、どう受け止めるべきなのだろう。

「優位性」という言葉

この映画には、共感を「進化上の優位性」として捉える考え方が出てくる。

私は、この言葉が一番残った。

より強い力。
より進んだ技術。
より多くの情報。

そういうものをより上位の「優位性」と捉えていないだろうか。

だけどこの映画では少し違う。

理解できないものを、すぐに否定しない。

自分とは違うものが存在することを認め、理解しようとする。

未知 → 沈黙 → Listen → 共感

「Listen」は、何でも信じなさいという意味ではないと思う。

分からないものを、すぐに自分の答えに当てはめず、一度受け止めてみる。

『未知との遭遇』が公開されたのは1977年。

それから約50年。

あの頃、宇宙人は「知りたい」「会ってみたい」未知の存在だった。

今回、私が気になったのは、宇宙人そのものより、それを見る人間だった。

興味から、共感へ。

宇宙人が変わったのではなく、彼らを見る私たちの方が変わってきたのかもしれない。

優位性とは、力を持つことだけではない。

それでも、まだこの映画から何かを掴みきれていない感じが残っている。

赤い鳥も妙にかわいかった。

サブスクで配信されたら、たぶんもう一度見る。

いや、その前に、もう一度映画館へ行こうかとも考えている。

そんな映画は、私にとって「見てよかった映画」になる。

『ディスクロージャー・デイ』は、そのリストに入った。

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