総裁誕生から、人は一人では生きられない

ブログ

総裁選が終わり、石破茂新総裁になりました。
TV画面からは、心機一転頑の決意とか心意気などが伝わらず、逆に浮かない顔が映し出され、心身大丈夫なんですかね、などと私は思ってしまう。

ずっと総裁選の行方を追っていたのですが、当初の解散時期の話にズレが生じ総選挙が今月末の27日に行われるようになりました。今月はその前の20日に菊花賞がありますが、馬の情報を仕入れている方が有意義な結果かもしれないとさえ思えてくるのは、スポーツは実力主義でフェアな戦いであるから信頼を裏切ることがないからなんだな、とさえ思えてきます。信頼を取り戻すというが、政治の世界の信頼とは何とも難しいと思われる。

そういえば石破さんは鉄ちゃんだとか、防衛オタクだとか言われて、オタク的視野の人。
鉄ちゃんが鉄道会社に就職するにはハードルがある。オタク的なモノに対する執着心は悪くはないが、視野を広げる必要がある。世間は、人のため足りないところを補足してやっていき、さすが目の付け所が違うね、と思われるようでなければ認めないようなところがある。それを人は、謙虚でできる人、というのかもしれない。誰よりも鉄道に詳しいと熱意を伝えても、巨大組織の中ではどうも扉は開かない。

日本的な巨大組織的では、約束を守り順応していける規律性、自ら向上心をもって会社の発展のために、協調性を持って乗り越えていけるか、そこを重要視されてきたように思う。政治の世界など、議員は日頃の仲間作りが大切だと言われるが、仲間がいないとまるで新入社員か、はたまた転校生のような心理状態に陥るのではないだろうか。

このような視点で見れば、今回の総裁選は、誰に票を入れるかでもつれ込んでいたけれど、国民や日本を真摯に考えてのことではなく、やっぱり自民党組織のための総裁選であったということが残念な結果となった。反主流派と言われ続けていた石破新総裁は、やはり難しい岐路に立たされている。
故、安倍晋首相が近年稀にみる7年8ヶ月も首相の座についていた。2011年だったか秋の党首討論で野田政権を解散に追い込んだインパクトで絶大な人気となったように思える。しかし、一度目の首相時は確か1年。体調を崩していた。

人という生き物は、集団で生きることを選択し発展してきた生物であるから、本当にプレッシャーに弱い。集団は仲間にも敵にもなるから、本当に仲間が必要かと言われれば、それぞれの人には、最適な人間関係があります。自分にはどんな環境や場所があっているのかといった逆視点からの適材適所を考えてみるのも一つの手かもしれない。波長が合う人、波長が合う場所、そういう目線の付け所をもてば、ゆとりが生まれてくるものです。色々石破内閣は言われるが、自分を守るという意味か、心の拠り所は譲れない、といったところでしょうか。いやあ、でも本当に政界は大変な世界ですが、今後の行方を見守るしかない。

本日10月5日、名前だけアピールして去っていく選挙カーに出会った。もう選挙が始まるんですね。