占い師の存在、自己認識と矛盾

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先日、若い人からインタビューを受けた。じきにどこかで流れるのだろうけど。ただ今話したいことは、自分の当たり前がそうじゃないということ、まだ若い人は、そしてエンタメ的な占いが流行っているせいか、いやそうじゃない、占い師は摩訶不思議な力や能力を持っていると世間では思っているようだった。皮肉なことにもう少し歳をとれば、占い師は怪しいアウトローに変化するのだけれど。

占い師になってから、占術の仕組みを勉強することの他に、思想的なことも、哲学的、科学的なことも様々なことを自分に取り入れてきた。取り組まなくてはならない義務的な意識ではなかった。つまり自然に、無意識に身体に馴染み、いつの間にか、インプットされたものが自然になった。だから私は占い師だ、とも言えるが、霊能力は持ち合わせない。

その驚きの幾つもの質問内容は、占い師は特殊な能力を持っていると根底から思っているようだった。その夢を壊しても良いのか、申し訳ないが私は断言したのだ。そもそも人間に生まれたからには、少なからず動物的な嗅覚を皆、持っていて第六感はある、それを使っているか使えていないか、なのだ。ぬくぬくしていればそれは退化するので、たとえばジャングルで暮らすことは難しい現在、大変なヨガ修行でもしていれば研ぎ澄まされているかも知れない。そのような原始的な時代には、人はその魔術的能力を使ってもいたのですけどね。

そして、違った見方としては、人は自分に見合った世界に生きている。単純にいえば、幸せな人は幸せを望む人と関わり、人に優しく、優しい環境にいて無理をしていない。逆に怒りのエネルギーの人はそういう人を引き寄せ、愚痴をこぼし辛い世界にいる。なかなかね、それを詳しく話すのは時間を要す。

つまり。どこにピントを合わせて生きているのか、ザックリとしか認識していないとまだ目標の途上にいるのだ。自分の可能性と現実を決めるものを目指しているとか、ね。そういうことをお話したかったので、ブログにしました。