門・壁・鳥居

シンボル

門は地続きにあってあちらとこちらを分け隔てるための象徴です。多くの文化圏のお城、神殿、重要な施設にある門は、足を踏み入れる通過儀礼のシンボルとなり、厳かで威厳のシンボルとなっています。そしてそれに壁が備われば門の背後にあるものは大切で防御するという意味が加わります。

中世に多く造られた城壁都市、世界遺産になっているフランスのカルカッソンヌは二重の城壁で、攻め込まれないような重厚な造りとなっています。ちなみに私の、死ぬまでに一度行ってみたい場所リストに入るような場所。木材の豊富な日本、弥生時代の吉野ヶ里遺跡なども城壁都市の部類に入るそうです。クニの決め事や宗教的な神との関わりの祭祀の場所であったとされ、もしかすると邪馬台国か、シャーマンであった卑弥呼が統治していたのかもと思えば、ここも一度行かなければと思う場所。

現在の世界でも宗教と政治は様々に関わりますね。靖国神社など物議を醸しますがそれは別として、日本人としての心、あるいは魂は政治と宗教は分離された精神性があるのだと私は考えていて、それは鳥居には壁がないからです。
それは受け入れること、秘匿ではないことの自然観。今年に入り厳島神社に参拝してきましたが、外国人でごった返していて、壁どころか生命の源である水に浸っている厳島神社は、西洋とは真逆の価値観にあって日本特有の神秘的宗教観が、自然の中に身を置く開放感とともに同時にやってくる経験だろうと思えます。

神社の鳥居には、古事記からなる神話の自然観の文化が根付いています。「聖と俗を分ける役目」の門という意味では、世界の宗教は同じですが、鳥居の真ん中は自然の八百万神が通る神聖な通り道であり、自然界の一部である人間も同じように通ることができる。鳥居には、鳥居に取り付けられているしめ縄や白い紙が垂らされている「四手」で、通る者の汚れを祓い避けてくれることも工夫、通る者は一礼をして手を洗い口をすすぎ、参拝までに身と心を整えていきます。門のシンボルである通過儀礼は、世俗的な城や重要な場所の改まり方と、宗教的な思想の門の踏み入る改まりの違い、そしてまた鳥居は特殊な門である、ということですね。