あの日私は、買い物ついでに一駅歩くことにした。
駅前から段々と人は消え、私の前には外国人親子2人になった。
背の高いお父さんと歩く男の子は、小学校高学年くらいだった。
全身黒のTシャツと短パンだったけど、”赤いリボンが巻かれた麦わら帽子”はひと目で「ワンピース」のルフィだった。
結構蒸しつく日だったけど、その親子はいつもそんな感じで歩いている感じで、淡々と目的地を目指しているようだった。
しかし少し父親の方は神経質そうやな、そして子供はおおらかな雰囲気やな、などと考えながら、私は後ろを歩いた。
そして「ワンピース」好きな子供が、麦わら帽子を被ることを否定しないようなところは、子供が熱中することを後押しする父親の雰囲気もあった。
後ろ姿から何故そういうことがわかるのか、人の持つ感覚は不思議で、ちょっと侮れない。
あれは私が幼稚園か小学生1年ぐらいの時か。
その昭和の時代、子供達はお手伝いに頻繁に駆り出された。
小銭を握りしめ、買い物へ走った。
まだスーパーマーケットよりは個人商店が多く、八百屋なのに卵が売られたりしていた。
そう思えば、先ほど別れたあの男の子。
自由そうに見えたけど、棒切れを振り回していた昭和の男の子と比べると、かなり洗練された雰囲気を持っていたな。
帰宅後の私は、ハリウッド映画の「スーパーエイト」を観たくなった。
子供は親に隠れてトランシーバーで連絡を取り合う。
自転車を乗りまわし森を駆け抜け、移動範囲は異様に広い。
そして、ん、ちょっと待て、これは少し前に観た「ストレンジャー・シングス」と同じ風景やな、と気づいた。
どちらも1980年代前後の風景だった。
アメリカ人が懐かしむ「子供の自由」がそこにあった。
日本なら「ALWAYS三丁目の夕日」あたりか。
私はそのストーリーを回想した。
あらためて、昼間の男の子が脳裏をよぎった。
確かに「ワンピース」は自由と冒険の物語ではあるけれど。
あの子はアメリカ人とは限らないけれど、あの子の自由ってどんな感じなのかな。
「スーパーエイト」の子供たちは、ずいぶん自由に見えたけれど。
その違和感は少し言葉にしづらく、不完全燃焼だけが今も残っている。

