何年か前までは「イカゲーム」「シスターズ」「愛の不時着」を観ていたというのに、ストーリーが長すぎて、しかも面白すぎて見続けてしまうことに少し疲弊してしまっていた。
その反動なのか、ゆったり流れる何気ない映画を好むことに気づく。先日もスピルバーグを選んで映画館に足を運んだが、家でもそんな感じになっている。その気づきというのは、カンヌ映画の『ROMA』を選んだ日。
今の自分は刺激的な作品でエキサイトするより、静かな日常を描く映画のほうが心地よい時期なんだと気づいた。
それから私は、これまであまり選ばなかった静かな映画を観るようになった。
その中のひとつが『パターソン』だった。
主人公のパターソンは、毎日同じ時間に起き、同じ道を歩き、バスを運転し、詩を書く。町の名前もパターソン、主人公もパターソン。そして街では何組もの双子とすれ違う奇妙な話だ。
日々は同じように見えて、少しずつ違う。
バスの故障、BARで繰り返される恋人たちのやり取り、犬に食いちぎられる詩のノート。どれも大事件ではないが、それでも静かな変化は、確かに積み重なっていく。
私は『パターソン』は、「未」の代名詞のような作品だと思っている。
「未」を持つ人は、繊細で用心深く、表向きは穏やかでありながら、内面には着実な芯の強さがある。派手に目立つことは少ない。だけど季節が移り変わる境目のように次のステージにいつの間にか進んでいくのだ。
パターソンも同じ道を歩き、同じバスを運転し、同じように詩を書く。何も起きていないようで、その内側では言葉が少しずつ積み重なっていく。だから詩を失っても、彼はまた書き始められるのだ。
私も毎日占いをして家へ帰る。その繰り返しの中で、人を観察し、言葉を積み重ね、日々を少し変えたいと美術館へ出かけたりする。だけど基本はその繰り返し。
来年は未年。気が早いように思われるかもしれないがもう10月、暦では後3ヶ月で未年。今年は未を持つ人が占いに来る比率が高いと感じている。
もしかしたら私が今年ゆったりした映画を好んでいるのは、未の影響なのかもしれない。

