タロットの源流にあたる古典的なマルセイユタロット。その奇術師の絵柄は、現在スタンダードに使われているウェイト版のように、スマートな絵柄の優等生タイプの魔術師ではなく、構図は似ていても一見して貧相な印象。奇術師は素朴な少し寂れている背景の中、憂鬱に思いに耽り思考しているのです。ウェイト版と基本的に同じ構図としてはテーブルは三本の脚、四本目は写っておらず、安定した現実を手に入れるために何かを創造することが、奇術師の手に持つステックに委ねられている。が、しかし決定的に異なるところとしては、ウェイト版の思想がはっきりと映し出されている絵柄とは違い、奇術師の目の前のテーブルにあるものは、まるで貧相で何かの破片やガラクタである。中世イタリア、ベネツィア起源の作者不明のマルセイユタロットの奇術師、地味であるが愛着を持ってしまう絵柄である。
前置きが長くなってしまったが、本物の手品師、現在のマジシャンを創造してみるとしよう。観客の視線に内心緊張しながら、熟練した腕と場数が自信の拠り所。外的には観客の注目を集めるための演出で脚光を浴び、むしろ観客にワクワクとした創造性を与える。
それとは裏腹に観客の前提は、すでにマジシャンの主導権の中、胡散臭さが漂う、裏にあるタネを見つけるために洞察力を終始働かせている。私たちがマジシャンをみるときは、複雑なトリックとテクニックに騙されることをいわば楽しんでいるとも言える。
奇術師のカードが出る時、それをやりたいか、あるいは探す、目的や具体性への根本へ意識を向けさせる。同時に、自由な表現性をしたい純粋な概念が働く。つまりイマジネーションと向き合う新たな自己創造の時。
世界が与える偶然の万物の始まり。試行錯誤しながら、知的に理解し分類や分別、機転を効かせ、器用さを身につけていく。ネガティヴな側面ではトリックがあるため、両面への思考である。そのため、ペテン師、陰謀、策略、外交的手腕、などが挙げられるカードでもある。