七夕になると思い出す人がいる。
祖母の誕生日が来た。
生きていれば今年で113歳になる。
母はこんなことを言っていた。
「おばあちゃんは、気がついたら何か片付けていたな。」
祖母は時々、団欒していても自分の部屋に戻った。
箪笥の衣類を整理し、取れかけたボタンを付け替えていた。
母の兄弟の家に泊まりに行く日も度々あった。
その準備を静かにしていたのだろうかと今になって思う。
仕事をしている母に代わって魚を捌き、
テレビに映ったSMAPに興味を持ちながら、
母の帰りが遅くなれば心配していた。
私や妹が叱られれば
「お母さんは、ああいう人やから。」
と言って静かに隣に座った。
家族の様子に気を配りながら、
その時にできることを続けていた印象が残る。
月日が流れ、祖母は入院した。
母の言葉には続きがあった。
「隣の人が食パンを食べてるのを見てな。
おばあちゃん、『私も食パン食べたい』って言うてな。」
その時には、祖母はすでに流動食だった。
それまで私は、この親子関係を複雑に思っていた。
しかし自分がその時の母の年齢を超えて、ようやく理解し始めた。
お互いに「あの人はあんな人やから。」
そう言い合える親子だったのだ。
今では母がどういう言葉をかけたのか、気になる年齢にもなった。
祖母の命式には、「未」と「丑」があった。
未と丑を両方持つ人は、気がついたら受け止める側にまわることが多い。
目立つ目標を話すよりは、日々の暮らしを積み重ねながら少し先のことを思う。
祖母は、母の兄弟の家との行き来をしながら、どちらの家族の日常にも溶け込んでいた。
未と丑を持つ祖母は、控えめに静かだったが行動する人でもあった。
